2009年 12月 20日
From Australia |
昨日大そうじまでいかぬそうじをした。
じっくり向き合わなければならないそうじ。
そう、たまった書類、古い手紙、写真、DM・・・
いつも後回しになっていて引き出しの中はパンパン。
のんびりそれらと向き合った。
ちっとも整理されていない写真の中にオーストラリアで
とった写真があった。
2000年(2000年ではなく1999年だった。)元旦に日本を飛び出してブリスベンから車で1時間くらい内地に
はいったトゥーンバというところにあるUniversity of Queensland
という大学のサマースクールに参加した。
そう、日本とオーストラリアは季節が逆。
元旦に飛び出して着いた先は真夏だった。
オーストラリア全土から学生から社会人、リタイアした人、
いろんな人が集まってくる。
クラスは
音楽、バイオリンのクラス、ピアノのクラス・・・etc
芸術 油絵、彫刻、写真、詩、靴つくり・・・etc
ほんとにいろんなクラスがあり私はその中の陶芸のクラスに参加した。
とにかく日本から参加してきたのは私がひとり。
学校についたら地元の新聞社の人がきていてインタビューを受け
翌日の地元紙に写真入りで紹介された。
英語はまあまあ自信があったはずなのに・・・わからない。
何言ってんの???
ドミトリーがいくつかありその中の1室を与えられた。
食事もドミトリーごとに食堂のようなものがあり朝晩はそこで
とった。
先ほども言ったが99%がオーストラリア人である。
東洋人は私だけ。
初めての食事の時、声をかけてきてくれた男性がいた。
ちょっとお猿似のやさしいおじさんだった。
わかる。言葉が聞き取れる。
嬉しくなって話はじめると彼はドイツ人でもう何年も
前からオーストラリアに移り住み趣味で絵を描いているそうだ。
陶芸の教室は女性ばかりで特に英語がわからない。
食堂でであうビジネスマンのような人たちの英語は聞き取れるのに。
毎夜食事の後はテーブルを移動し、音楽をかけダンスがはじまる。
時々キーボードを弾いてくれる女性がいてその人と話す機会があった。
彼女の英語はほんとに良くわかる。
「私があなたの英語わかる!」と言うと「私アメリカ人よ!」と
結婚してオーストラリアに住んでいるとのこと。
「英語が聞き取れない人が何人もいるの!」とそのアメリカ人に言うと
オーストラリアでは受けた教育が高ければ高いほど英語がきれいだと
教えてくれた。
こう言ってはなんだが陶芸のクラスに集まっている女性は
オーストラリの田舎に住んでいる人たちが多かった。
日本のように陶芸教室はなく、1年に1度このサマースクールに
参加しているという人もいた。
家は農家という人も何人かいた。なんとなく聞き取れないことが納得した。
隣のクラスは彫刻クラス。
その中に陶芸家がいた。もともとニュージーランドの出身で
つまらなくてオーストラリアに移住したそうだ。
もうひとり彫刻クラスに映画などのアートディレクターのBobがいた。
離婚した奥さんと参加しているという。
サマースクールが終わったあと数ヶ月してその陶芸家のスタジオを
尋ねた。歯科医のKeiと一緒に住んでいるのでKeiにおみやげにゆかたを持参。
Keiはヨガも教えていて、週に1度早朝、近所の人が家に集まりデッキで
皆でヨガをやっていた。
昨日写真を整理していたらその時の写真がでてきた。
Keiがヨガをやっているところ、飼っていた2匹の犬が私が寝泊りしていた
部屋に毎朝おはようを言いにきた時の写真、陶芸家Keithの作品。
ドイツ人のUdoは年に2度ほどドイツに帰る。そのときに日本経由となるので
成田まで行って食事をしたりして交流が続いていた。でもそれもここ3,4年は
なかったような。
Bobの妹はシドニーオリンピックの時のNSW州の警察のトップだった。
女性なのに!だ。
その後日本の政府の招きでオリンピック時の警備についての講演をするとかで
来日いたれりつくせりなのだそうだ。お昼赤坂で一緒に食事をした。
こんな待遇受けたの初めてと驚いていた。
2004年参加している全陶展でシドニー展なるものが開催された。
シドニーの市庁舎の一角を借りての展覧会だった。
私は話が出たときからの担当者で会場さがし、雑誌への広告の掲載
図録の作成など2年越しでお手伝いをさせてもらい忙しかったけれど
充実した日々をおくった。
そのシドニー展にはUdo, Bob, Bobの妹さん、もっとずっと以前の
職場の同僚でブリスベンに住んでいたCathなど何人かが飛行機に乗ったり
車を飛ばしたりして来てくれた。
昨日はそんなことを1日中思い出しながら引き出しの中を整理した。
Cathとはその後何度かメールをやりとりしてここ何年か音沙汰ないなあ。
Bobはいったい今は何をしているだろう?
Keithは何年かまえガンを患いあの世に逝ってしまったと聞いた。
Udoは?以前私と間違えてデートの約束のメールを送ってきたことがあったけど
あの時のガールフレンドと一緒になったかしら??
どれもこれもが懐かしい。
きっとあの時も私は生き生きとしていたに違いない。
ようやく個展も終わってもっと元気になるのかな?と思ったら
なんだか燃え尽き症候群にでもなってしまったか元気がでない。
陶芸で食べていけるはずもなく、ここ2,3ヶ月会社を休みすぎ
経済状態が逼迫。働く身体つくりのため仕事に励んでいる。
おまけに、整理していた書類の中にこんなメモ書きがあった。
「それをやっている時、心の底から楽しくてわくわくするなら
あなたの眠っている才能はその周辺にあります。」
個展の最中来てくれた皆を応対していた時とっても楽しかった。
シドニー展で会場に来てくれるオーストラリア人を応対している時
とても楽しかった。
最近ちっとも英語を話していないな。
時々私の英語を聞いているのはマー君とタビーだけだ。
先日の個展には180人もの人たちが駆けつけてくれた。
でもどうだろう、現実に戻ったら週末誰とも話していないなんてことが
当たり前のように待ち受けている。
陶芸、異文化交流、人、それが集まったら楽しいかな?パワーがでるかな?
そんなことを考えながらPCを開いて見た。
メールを確認したらなんと懐かしい名前が、Udoからだ!
最近シドニー近くに越したとのこと。クリスマスの挨拶だ。
えーーっ、何年ぶりだろう!
お久しぶり Udo!
ふっとよぎったものがある。
‘個展 in Sydney’ ・・・Sound great!
頭の隅に置いておこう。
じっくり向き合わなければならないそうじ。
そう、たまった書類、古い手紙、写真、DM・・・
いつも後回しになっていて引き出しの中はパンパン。
のんびりそれらと向き合った。
ちっとも整理されていない写真の中にオーストラリアで
とった写真があった。
2000年(2000年ではなく1999年だった。)元旦に日本を飛び出してブリスベンから車で1時間くらい内地に
はいったトゥーンバというところにあるUniversity of Queensland
という大学のサマースクールに参加した。
そう、日本とオーストラリアは季節が逆。
元旦に飛び出して着いた先は真夏だった。
オーストラリア全土から学生から社会人、リタイアした人、
いろんな人が集まってくる。
クラスは
音楽、バイオリンのクラス、ピアノのクラス・・・etc
芸術 油絵、彫刻、写真、詩、靴つくり・・・etc
ほんとにいろんなクラスがあり私はその中の陶芸のクラスに参加した。
とにかく日本から参加してきたのは私がひとり。
学校についたら地元の新聞社の人がきていてインタビューを受け
翌日の地元紙に写真入りで紹介された。
英語はまあまあ自信があったはずなのに・・・わからない。
何言ってんの???
ドミトリーがいくつかありその中の1室を与えられた。
食事もドミトリーごとに食堂のようなものがあり朝晩はそこで
とった。
先ほども言ったが99%がオーストラリア人である。
東洋人は私だけ。
初めての食事の時、声をかけてきてくれた男性がいた。
ちょっとお猿似のやさしいおじさんだった。
わかる。言葉が聞き取れる。
嬉しくなって話はじめると彼はドイツ人でもう何年も
前からオーストラリアに移り住み趣味で絵を描いているそうだ。
陶芸の教室は女性ばかりで特に英語がわからない。
食堂でであうビジネスマンのような人たちの英語は聞き取れるのに。
毎夜食事の後はテーブルを移動し、音楽をかけダンスがはじまる。
時々キーボードを弾いてくれる女性がいてその人と話す機会があった。
彼女の英語はほんとに良くわかる。
「私があなたの英語わかる!」と言うと「私アメリカ人よ!」と
結婚してオーストラリアに住んでいるとのこと。
「英語が聞き取れない人が何人もいるの!」とそのアメリカ人に言うと
オーストラリアでは受けた教育が高ければ高いほど英語がきれいだと
教えてくれた。
こう言ってはなんだが陶芸のクラスに集まっている女性は
オーストラリの田舎に住んでいる人たちが多かった。
日本のように陶芸教室はなく、1年に1度このサマースクールに
参加しているという人もいた。
家は農家という人も何人かいた。なんとなく聞き取れないことが納得した。
隣のクラスは彫刻クラス。
その中に陶芸家がいた。もともとニュージーランドの出身で
つまらなくてオーストラリアに移住したそうだ。
もうひとり彫刻クラスに映画などのアートディレクターのBobがいた。
離婚した奥さんと参加しているという。
サマースクールが終わったあと数ヶ月してその陶芸家のスタジオを
尋ねた。歯科医のKeiと一緒に住んでいるのでKeiにおみやげにゆかたを持参。
Keiはヨガも教えていて、週に1度早朝、近所の人が家に集まりデッキで
皆でヨガをやっていた。
昨日写真を整理していたらその時の写真がでてきた。
Keiがヨガをやっているところ、飼っていた2匹の犬が私が寝泊りしていた
部屋に毎朝おはようを言いにきた時の写真、陶芸家Keithの作品。
ドイツ人のUdoは年に2度ほどドイツに帰る。そのときに日本経由となるので
成田まで行って食事をしたりして交流が続いていた。でもそれもここ3,4年は
なかったような。
Bobの妹はシドニーオリンピックの時のNSW州の警察のトップだった。
女性なのに!だ。
その後日本の政府の招きでオリンピック時の警備についての講演をするとかで
来日いたれりつくせりなのだそうだ。お昼赤坂で一緒に食事をした。
こんな待遇受けたの初めてと驚いていた。
2004年参加している全陶展でシドニー展なるものが開催された。
シドニーの市庁舎の一角を借りての展覧会だった。
私は話が出たときからの担当者で会場さがし、雑誌への広告の掲載
図録の作成など2年越しでお手伝いをさせてもらい忙しかったけれど
充実した日々をおくった。
そのシドニー展にはUdo, Bob, Bobの妹さん、もっとずっと以前の
職場の同僚でブリスベンに住んでいたCathなど何人かが飛行機に乗ったり
車を飛ばしたりして来てくれた。
昨日はそんなことを1日中思い出しながら引き出しの中を整理した。
Cathとはその後何度かメールをやりとりしてここ何年か音沙汰ないなあ。
Bobはいったい今は何をしているだろう?
Keithは何年かまえガンを患いあの世に逝ってしまったと聞いた。
Udoは?以前私と間違えてデートの約束のメールを送ってきたことがあったけど
あの時のガールフレンドと一緒になったかしら??
どれもこれもが懐かしい。
きっとあの時も私は生き生きとしていたに違いない。
ようやく個展も終わってもっと元気になるのかな?と思ったら
なんだか燃え尽き症候群にでもなってしまったか元気がでない。
陶芸で食べていけるはずもなく、ここ2,3ヶ月会社を休みすぎ
経済状態が逼迫。働く身体つくりのため仕事に励んでいる。
おまけに、整理していた書類の中にこんなメモ書きがあった。
「それをやっている時、心の底から楽しくてわくわくするなら
あなたの眠っている才能はその周辺にあります。」
個展の最中来てくれた皆を応対していた時とっても楽しかった。
シドニー展で会場に来てくれるオーストラリア人を応対している時
とても楽しかった。
最近ちっとも英語を話していないな。
時々私の英語を聞いているのはマー君とタビーだけだ。
先日の個展には180人もの人たちが駆けつけてくれた。
でもどうだろう、現実に戻ったら週末誰とも話していないなんてことが
当たり前のように待ち受けている。
陶芸、異文化交流、人、それが集まったら楽しいかな?パワーがでるかな?
そんなことを考えながらPCを開いて見た。
メールを確認したらなんと懐かしい名前が、Udoからだ!
最近シドニー近くに越したとのこと。クリスマスの挨拶だ。
えーーっ、何年ぶりだろう!
お久しぶり Udo!
ふっとよぎったものがある。
‘個展 in Sydney’ ・・・Sound great!
頭の隅に置いておこう。
by akirameneesan
| 2009-12-20 23:06
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